どうぶつブログ

(ヒト ∈ 動物)について、いろんなこと書いてます。

「共感」は二つの方向性を生む。相手を助けるか、逃げるか。私たちは選べるのだ。

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Photo by freestocks.org on Unsplash

 

先日ツイッターで、ジョニー・デップのこんな言葉が流れてきました。

 

 

 

適当に訳させていただきますと、

「(SNS等で)動物に対する暴力をとらえた写真を見るのが嫌ならば、写真を止めさせるのではなく、暴力を止めさせなければならない」

とな。 

 

これね…。

うん。そうなんだよね。と思った。

(追記:SNSで流れてくるような写真が、つねに畜産の実態を正確に表しているわけではありません。)

 

多くの人が、たとえば工場畜産の現場の写真や動画から、目を背けるのではないかと思います。

「残酷」だから。見たら気分が悪くなるから。

「こんなのってひどい」と思ったとして、どうしたらいいかわからないから。

 

私もいろいろなことから、長らく目を背けてきました。(いや、今もだな…。)

人一倍、自分が動物のことに関して敏感なのはわかっていたので、怖くて向き合えなかったのですね。

人間が動物たちにしていることをまったく知らなかったわけではないけれど、それ以上は知りたくなかった。

なので、見て見ぬふり、というか、そもそも見ないようにしてきた。

そういう人は、実はけっこういるんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう。

 

私は「共感」というものの研究に強い興味を持ってきたのですが、いろいろ読んでいる中で知ったことがあるのですよ。

 

少なくとも哺乳類においては、共感能力の基礎というべき「情動伝染」という性質が、あらゆる種に備わっていると考えられています。

これは、相手の痛みや苦しさが、自分のものであるかのように感じられるということです。

さらに、少し「賢い」動物ですと、相手の苦境に対して何かしてあげる行動、たとえば「慰め」たり、もっといくと助けてあげたり、というような行動が見られるとされます。(ラットなども仲間を助けるとされています。)

が、同時に、相手の痛みや辛さを感じてしまうということは、非常に大きなストレスを生みます。

場合によっては、相手を助けるよりも、自分がストレスを感じる状況から逃れるほうを選択することになります。

 

これなんですよね。

動物が置かれた状況を知ったときに、私たちがやってしまうこと。

簡単には助けられないし、つらいから、逃げる。

これには、単純に「目をそらす」以外に、事実は(一応)受け止めたうえで「正当化する」ことも含まれると思います。

(この正当化の仕方にはいろいろあって、日本ならではの特徴も多いと思いますが、いずれまた。)

 

畜産は多くの人にとって、自分の生活とのつながりを感じずに済む、知らなかったことにしやすいことではあります。(毎日の食生活と、大いにかかわっているのですけどね。)

ほかにも、普段あまり考えないかもしれないこととして、実験動物のこととか、ペット産業のこととか。

もっと身近な(?)ところで言えば、たとえば動物園・水族館にて。

子どもは真正直に、「こんな狭いとこ閉じ込められて、かわいそー!」などと言います。

大人はどうでしょう。

「そんな素直すぎる反応は大人として恥ずかしいから、思ったとしても言わない」という人がいるのではないか。

あるいは、見ていてつらくなるのが嫌だから、そもそも動物園・水族館には足を運ばないか。

 

もちろん、「たいして何も感じない」という人もいると思います。

そうした人に私が何か言うとすれば、「倫理学的に考えても、環境負荷の面から考えても、動物を取り巻くいまの状況はよろしくないのだよ」といった話になると思います。

あるいは、そもそも「動物は人間ほど苦しまない」と考えているようだったら、「動物だって人間と同じように*、感覚を持ち、感情を持ち、ストレスを感じるのだよ」ってことを伝えるかもしれません。

(*正確には「同じように」ではなく、種や個体によってさまざまなわけですが、人間が特別であるわけではない、ということです。)

 

でも、それ以前に、

本当はもっと動物たちに幸せであってほしい、と感じる人には、どうかそれを口にしたり、態度に出してくれたらなあ、と思うのです。

多数派でなければ何一つ安心して口にできないニッポンで、やりづらいのは百も承知ですが。

 

あまりにも多くの(しかも繊細な)問題が関わってくるため、意地悪な突っ込みをされた際にどう答えたらよいのかわからない、ということもあると思います。

ただでさえ「つらいなあ」と思っているところに、無力感が倍増するようなイチャモンをつけられるのは、ダメージがでかいんですよね。

 

でもね、その点に関しては

大丈夫。

意地悪な突っ込みをしてくる人というのはたいてい、深く考えたことのある人ではありませんから、そうした人が使う理屈はたかが知れている。

反論できる材料はたんとあり、答えはいくらでも用意できる。

 

…なんだっけ。。

あ、そうそう。

 

他者の苦境に「共感」した場合、私たちは選択を迫られます。

助けるか、逃げるか。

どんなに複雑に見える状況でも、究極はその二択です。

だれかの痛みを自分のものとして感じたなら、もう、それを知らなかったことにはできない。

動物たちに対して、どうやって「助ける」を選択していくか。

どうやったら、社会としてそうしていけるか。

 

そういったことを、(学位を取得したら本格的に)考えてゆきたいなあ、と思っているのですが。

今は趣味で(?)考えてる範囲と言えますが、またいろいろ書いてみたいと思います。

 

ではではまた。

  

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