どうぶつブログ

(ヒト ∈ 動物)について、いろんなこと書いてます。

大人の発達障害、こじらせる前に(こじらせてからでも)(自己中になろうって話)(お役立ち知識は書いてないごめん)

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Photo by Josh Calabrese on Unsplash


突然ですけど、発達障害について書こうと思って。

というのも自分がそうだからなんですが。軽いですが。

私は注意欠如障害(Attention Deficit Disorder, 以下ADD)と自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder, 以下ASD)の傾向がある、と言われております。

(それぞれどんなものなのかはググってくれ。)

昨年、三十路半ばにして受診し、診断が下りました。

 

最近は発達障害についての情報も増えましたし、私はかなり軽いほうだと思われるので(先生には「『障害』とまで捉える必要ないですからね~」と言われた)、知識という意味ではさほど皆さんのお役に立つ話ができるわけではないのですが。

でも、生きづらいほうだったことはたしかだと思うし(「そんなわけないわ」と自分に言い聞かせてた時間がずいぶん長かった気がするが…)、七転び八起きしながらなんとかやってきた身であります。

発達障害と診断されたり、「もしかして自分も…?」と思ったりしつつ、「普通」や「常識」に縛られて辛くなってる人が、「自分は自分でいい」「自分らしく生きたい」と思ってくれるようなことを、なんとかシェアできたらなあ、と思うのですが。

なんかそうやって言葉にすると、すごい陳腐に聞こえますね。。

(私はいま、割と好きなこと(動物の研究)をして生きている者です。)

何よりもまず、「自分も大丈夫なのかも」って、気がラクになってくれたらよいんだけども、どうしたらよいのかな。

二次障害でうつ病などを発症してる場合は、あまりお役に立てないとは思うんですが…。私、なったことがないので…。ごめんよ。 

 

(突き抜けてる人もいると思うんで、そういう人は以下読まなくて大丈夫。)

(発達障害の特徴も様々なので、読んでいて感じ方自体が違うな、と思ったら、読み進めなくて大丈夫。)

 

上から目線で話したいのではないのです。

私もまだまだ道半ばです。

何せ、「私やっぱり『個性の範疇』っていうのを超えて仕事(等)できなさすぎこれやばいのでは?」と思ってググって「ああADDやっぱ当てはまる」と思って受診してから、1年も経ってない。

(この歳(三十ウン歳)まで気づかずにいられたのは、まともに社会に出てないがゆえですが…)(ASDは先生に言われて寝耳に水だった。。)(ほんとに生きづらくてしょうがなかったのは、もっとずっと前だけどね)

結局なかなか周りの人に言い出すきっかけもなく、未だに大いに迷惑をかけたりしています。(今のところ、仲の良い人と指導教員にのみ伝えている(私は大学院生))(しかしここで言っちゃってることからして、隠しているわけではない)

何も(でかいことは)やらかしてないときは「まあいっか」ってなっちゃうし、やらかした後だと「言い訳してんじゃねーよ」と思われそうで怖いんですよね。。

 

元々、「自分は世間の基準に従おうと思ってもうまくいかないらしいこと」についてはあきらめてたというか、かなり受け入れてたとは思うんですが、どちらかというと「自分は自分でいいんだよね☆」ではなく、「自分がダメであることを受け入れなければ」という感じだったかも、と思うんですよね。

そうじゃなくて、「そもそもダメじゃない」と思えるようになるかどうか。

これはけっこう、大きい気がします。

まあ、「変人ですけど何か?」と思えてる人もいると思いますが、「ダメとかである前に変人だったんだ」って気づくとこからスタートって人も多いと思うんですよね。。

(最近は、こんなページも。発達障害者から見たら、定型発達者こそ「ヘン」だよー、っていう話 ↓ )

www1.nhk.or.jp

 

ちなみに、発達障害の人は精神年齢が低い、と言われるようですが(一説には実年齢×2/3歳とか)、例にもれず私もそうだと思います。

早く大人になりたいわー、と思いつつ、亀の歩みで進んでおります。

あ、ウミガメだと思ったらよいのかもしれない。

陸にいるとむっちゃのろいんだけど、もし自分にとっての「海」にたどり着けたなら、スーイスイ気持ちよく泳げるのかもしれない!! 

 

そういう場所を目指すことは、あきらめなくてよいと思うのです。

(場所を作る、であってもよいかもですね。)

「普通」の人(定型発達の人)は、「そんな場所ないよ」って、言うかもしれません。

あるいは、必死の努力で「普通」の仮面をかぶっている発達障害者も、そう言うかもしれない。

でもね、世界はそれなりに広いからね。視野が狭まってると、手立てがないように思えるときもあるけど、生き方ってほんといくらでもありうるからね。

何より、発達障害は「見えない障害」である分、自分にも他人にもいまいちよく理解されないまま、生きづらくなりがちであることを、まずはほんとにわかったほうがよいと思うのです。

定型発達者が我慢するとか処世術を身につけるとかのレベルではないはずなのです。

そもそも世界の見え方が違っていたりするのだし(ASD)。

ADD(多動性のある人はADHD)にしろASDにしろ、「興味のないこと全然できない」度がひどいですし。

 

桃源郷を探してさ迷うことを推奨してるわけじゃありません。

でも、「みんな我慢してるんだし(みんなって誰)」と自分に言い聞かせて、合わない環境に居続ける・合わないことをやり続けることのストレスは、定型発達者よりも大きいはずなのです。

世間では「誰でもできる」「大人としてできてあたりまえ」とされることが大概できないうえに(顕著なのは事務仕事とか、「阿吽の呼吸」とか)、なぜそうなのかを周囲は理解できないから、「やる気ないのマジいい加減にしてほしいんだけど」みたいな感じで怒られて、罪悪感と無力感を抱えたうえ、人間関係で悩みがち。

だから二次障害としてうつ病や適応障害を発症する人がめちゃくちゃ多いわけですよね。たぶん。

 

基本的にこの社会は定型発達者にとって都合の良いように作られているのですから、そこでうまくやれないのは、あるいはうまくやるために尋常でない努力を要するのは、たぶんあなたのせいではない。

自分が少数派であることを受け入れたうえで、少しでも合っている環境や方法を探すのは、とても建設的なことです。自分にとっても周りにとっても。

 

環境を変える場合、あるいは何かをやめたり始めたりする場合、お金の問題とかいろいろ考えちゃうことはあると思うのですが、やはり結果的には、順番を逆にして考えたほうがいいのではないか、と私は思います(会社勤めしたことがないのであんまり強くは言えない)。

逆、って言うのは、「自分の心にとってどうなのか」を優先順位1位にすること。

それも、圧倒的な1位にすること。

自分がどう感じてるのか、「常識人」(自分の中の「常識人(もどき)」を含む)がどう思おうと、自分がそれを心地よいと感じるのか、キツイと感じるのか、しっくりこないのか、そういうのを何よりも大事にすること。

少なくとも、見栄とかは捨てましょう。これほんと病む原因。

 

これは、私の経験則としか言えないんですけども、

少しでも他人(自分の中の「常識人(もどき)」を含む)に流された場合は、「やっぱ違った」「なんか全然苦しい」となるのが私の人生の常なのです。

完全に自分の心が決めた、という場合にのみ、たとえそれが次のステップへの踏み台に過ぎなかったとしても、「これでよかったんだな」と思えてきたのです。

だから、私の経験から言うならば、誰の言うことも聞いちゃダメなんですよ~。

(情報収集としてはOK)

(もちろん私の言うことも、もし納得できなかったら聞き捨てておくれ。)

自分の心、っていうのがまた、よくわからないときもあるわけだけどもね。

私も、20代後半くらいまで「ほんとのほんとの本音」がよくわからなかった…。

 

なんか精神論になっちゃいましたが、「こういうふうに振舞えばなんとか『普通』の世界で生きていける」っていう小手先のテクニックよりも、大事なことがあると思うわけです。

(テクニック自体は非常に役に立ちますし、適度に?身につけることをお勧めしますが(適度加減はわからないが、どちらにしろ自分ではできてるのかできてないのかよくわからないのよね、、)

自分の感じ方を大事にしてない人は(あるいは深く考えなくても世間と足並みそろえることができて、それが精神的負担になってない幸運な人は)、「大人としてそういうのはさー」とか「現実ってのはさー」とか、言ってくるとは思います。

でも、無理してその人の言うところの「大人」らしく振舞おうとしても、我々発達障害者は疲弊しすり減るだけで、大して社会に貢献できるわけでもありませぬ。

できること、得意なこと、好きなことをしたほうがいい。

できないこと、不得意なことは、任せた方がいい。

でも、それを周囲に理解してもらうには、やはり少数派である発達障害者自身が、「自分は平均から相当ズレている」かつ「無理して多数派の言うことを聞いていると不幸なことが起きる」ということを、深く自覚する必要があると思うのです。

「これがやりたい」「これはできる」「ここならやれる」というのを確保したうえで、関わっていくことになる人たちと良好な関係を築くために、「テクニック」を使うぐらいでよいのではないでしょうか。

もちろん、難しいこと考えなくてもうまくやれる・仲良くなれる(仲良くしてくれる?)人も、いますけどね。

 

何かがほんとにしんどかったら、できればうつ病などになる前に、「こりゃ自分には無理っぽいぞ」と、思い切ってあきらめてみてほしいのです。

「できるはずの自分」「人並みなはずの自分」という幻想を捨てて、本気の「自己中」になってみてほしいのです。 

しんどいのを我慢するのでも、なんでうまくいかないんだ!ってなるのでもなく、「自分はそもそも何がしたい?どこでどういうふうに生きていきたい?」と、考えてみる。(「感じようとしてみる」って言う方がいいかな?)

そういう意味で、自分を中心に置く。

現実なんて考慮に入れなくていいんですよ、そのとき。

自分の本心を探り当てるのが目的なんだから。

制限要因は一切取っ払って考えてみてください。

 

それでも、「自分がどうしたいかわかんない」って人もいると思います。

私もずっとそうでした。

だから、トライ&エラーの繰り返しで、失敗だらけでした。

一歩一歩、です。牛歩並みにゆっくりです。止まってた時間も長いです。

それでも、いつかは前に進むよ。

 

 

またそのうち、いろいろ書いてみたいと思います。

具体的に何書いたらよいかは考え中。

 

あ、自閉症スペクトラムの研究っていうのはものすごくたくさんあって、非常に示唆に富んでて面白いんですよ。

「それ私じゃん」ってやっぱ当事者感あるし、「そうか、そんなふうにたしかに世間の多数派とは感覚や能力が違っているわけか…!」と、アハ体験ができたりする。

わかりやすく紹介できたらしてみよう。

 

ではでは~。

 

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